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2015月4月19日更新

英雄ナポレオンの歴史を辿るフランスの観光スポットガイド

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僕はナポレオンが大好きです。ナポレオンのの歴史を辿るフランスの観光スポットを教えてください!(大学1年生・男性)


ナポレオン・ボナパルトは、1799年から約15年間、多くの大改革を行った「パリを世界一美しい都にする」という野望を掲げ、パリの顔を大きく変えようとしました。

ナポレオン自身の栄光、偉大さをパリに投影し、誇示したかったからですが、お陰でパリが魅力的に生まれ変わっていきました。

そんなナポレオンの歴史をめぐるフランスの観光スポットを紹介します。

 

ルーヴル美術館



アクセス:地下鉄1番線または7番線、Palais-Royal Musée du Louvre 駅で下車

画像出典:http://www.louvre.fr/jp/

ルーヴル美術館王政が崩壊した後、ナポレオンによりかつてのルーヴル王宮内に「ナポレオン美術館」が開館。

当時古美術品は非常に少なかった。1805年、入口の上部に皇帝ナポレオンの巨大な胸像が飾られています。

ナポレオンはローマの義弟の見事な収集品を強制 的に買い上げ、北イタリアの教会やローマ教皇領から奪った作品やイタリアやドイツの貴族たちの収集品も集めました。

画像出典:http://www.louvre.fr/jp/

ルーヴル宮を世界一の美術館にする大計画を推し進めるナポレオンは「大いなるものは常に美しい。大きくて広いものは、多くの欠点を忘れさせることができる」と何度も建築家に述べていました。

公式ウェブサイト:http://www.louvre.fr/jp

 

凱旋門



アクセス:地下鉄シャルル・ド・ゴール・エトワール駅かERE A号線シャルル・ド・ゴール・エトワール駅下車

画像出典http://arc-de-triomphe.monuments-nationaux.fr/

シャンゼリゼ通りを上ったエトワール広場の中央に位置するこの建物は、Arc de Triomphe (勝利の橋)と呼ばれています。

凱旋門の着工は1806年。

ジャン・フランソワ・シャルグランによって古代ローマのティトゥス帝の凱旋門をモデルに建設され、高さは50メートル、234段の階段を上りきると、パリ市内全体が眼下に広がります。

画像出典http://shisly.cocolog-nifty.com

1921年からは、無名戦士が凱旋門の中央に眠り、追悼の炎は毎日午後6時30分に点火され続けています。

戦没者を祭っている場所でもあります。

 

ノートルダム大聖堂



アクセス:Cité駅から徒歩5分

画像出典http://www.weblio.jp

皇帝ナポレオンの戴冠の儀式が行われたのは1804年12月2日。

参列者たちは戴冠式をはっきりと見ることが できず、朝8時から夕方5時までの儀式の間寒さと飢えに耐えました。

画像出典:http://aroundtheworld1.blog.fc2.com

ナポレオンは1793年にカトリックの礼拝が禁じられたノートルダム大聖堂で、法王ピオ7世により皇帝に聖別されたちぐはぐな儀式を考えたといわれています。

 

マドレーヌ寺院



アクセス:地下鉄(メトロ Métro)8番、12番、14番線の「マドレーヌ(Madeleine)」駅から、徒歩1分

画像出典:http://www.eglise-lamadeleine.com/

軍の英雄たちを称えるための寺院を建設したかったナポレオン。

建物の周りに憧れだった古代の神殿のようなコリント式円柱を施しました。

画像出典http://f.hatena.ne.jp

ルイ15世のときに建設が始まった教会だったが工事は遅々として進まず、ナポレオンが引き継ぎました。

パリのネオクラシック建築の傑作です。

公式サイト: http://www.eglise-lamadeleine.com/

 

リヴォリ通り



パリの西と東を結ぶ貫通道路です。

当時のリヴォリ通りパリの道路は狭くて不衛生で暗く、交通事情も危険で混 沌としていました。

既にルイ14世の時代にチュイルリーからシャンゼリゼまでの通りはできていましたが、パリの東に抜 ける道路がなかったので、

ナポレオンは1802年、コンコルド広場からルーヴルを通り、バスチーユ広場に抜ける道路の建設を計画しました。。

画像出典http://plaza.rakuten.co.jp

デラックスな通りにすべく、通り沿いに槌や焼き釜などを扱う商人のパン屋や肉屋など、出店を禁じる法令を出し均整のとれた控えめな建築と、市民が歩きやすいようアーケードを作りました。

 

運河



大都会に必要な水を供給しています。

画像出典:http://www.tokyo-esca.com

ナポレオンは、水の供給網を整備するため、ウルク、サン・ドニ、サン・マルタンの運河を建設することを命じました。

パリ市民の生活改善のため、10カ所以上の給水場を作りました。

 

いかがでしたでしょうか?

フランスにはナポレオンの歴史が感じられるスポットがたくさんあるので是非行ってみてくださいね。

 

 

2015年4月19日

written

by binbu�%b


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