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2014月10月5日更新

マレーシアの世界遺産ならここ!独特な文化の街『マラッカ』が魅力的

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 マラッカ海峡の要衝に位置するこの街は15世紀から19世紀にかけて各国が貿易利権をかけて進出を争う重要拠点でした。この街に残る史跡の数々は支配した各国の文化が色濃くあらわれています。そのユニークな建築様式と独特な街並みはジョージタウンと共に2008年、世界遺産に登録されました。



マラッカ川、橋のほとりのオランダ広場から出発してみましょう。オランダは1606年にポルトガルが統治していたマラッカを攻撃開始しました。数度にわたる攻略の結果、ポルトガルは1641年ついに降伏しました。オランダはイギリスにその統治を譲るまで150年に渡りマラッカを支配しました。


 


そのオランダ広場に「マラッカ・レッド」とよばれる赤茶色で統一されたムラガ・キリスト教会とスタダイスがあります。ムラガ教会周辺では多くの観光客が集まります。それを目当てに露店や大道芸、トライショー(サイドカーつき自転車タクシー)のパフォーマンスを見ることができます。


 


オランダ広場を出て小高いセント・ポールの丘を登ってみましょう。ポルトガルはマラッカを東南アジアのカトリック布教拠点にも使用していました。その教会跡がセント・ポール教会です。マラッカを出発して当時の日本および中国に布教をすすめたフランシスコ・ザビエルの像が建っています。中国の布教を試み半ばで死去したザビエルの遺体はマラッカのここで9ヶ月安置され、当時ポルトガル領でアジア拠点だった現インドのゴアに移されました。



セント・ポールの丘を降りると、ポルトガルがオランダとの戦いに備えて準備したサンチャゴ砦が現れます。大砲の前では常に観光客が記念撮影を楽しんでいます。



サンチャゴ砦の隣にスルタン・パレスがあり、1511年のポルトガル進出前に繁栄したマラッカ王国宮殿を再現しています。パレス内はマラッカ文化博物館になっており王国の歴史、服飾、武器などが展示されています。オランダ広場に戻り川を渡ってチャイナタウンに向かいましょう。チャイナタウン入口にはチキンライスの店があり、絶えず観光客が行列を作っています。



車で混み合うジョンカーストリートの一本中通りに入ってみましょう。この通りではヒンドゥ寺院(スリ・ポヤタ・ヴィナヤガール・ムーティ)、モスク(カンポン・クリン・モスク)、中国寺院(青雲亭)が順番に現れ、歩く旅人にマラッカの融合文化を印象づけます。青雲亭は特に参拝者が多く、記念写真を撮る観光客であふれています。


 


青雲亭を出ると、通りは左にカーブしていきます。その先を歩き続けると、さっきのジョンカーストリートに戻ります。オランダ広場に帰る前に、疲れた足を休めエネルギーを補給しましょう。


ニョニャ料理、サテー・チュルップ、チキンライス、かき氷、スイーツのお店がジョンカーストリートと隣のヒーレンストリートに並びます。店内では観光客が楽しかったマラッカの感想を語り合っていることでしょう。


ヒーレンストリートにはババ・ニョニャ・ヘリテージがあります。数百年前にマレーシアに移住した中国系男性とマレーシア系女性の結婚による子孫(プラナカン)の家宝(家具、伝統衣装、工芸品など)で融合文化を展示しています。


マレーシアは今もマレー人、中国人、インド人その他がそれぞれコミュニティを作り、それらが複合して国を築いています。それぞれが融和し統合を保つことが課題となっています。マラッカは15世紀からその課題に向かい合い独特な社会と文化を築いてきました。是非、マラッカを訪問してその魅力を味わってください!


 


(すべての写真と地図は「ツーリズムマレーシアオフィシャルサイト」より転載しました)


 


 


 

2014年10月5日

written

by tabisapo


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