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2014月10月15日更新

旅行に行く前に一読を!イギリスの歴史・文化まとめ

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知っているようで、意外と知らない国イギリス。イングランドはいわゆるイギリスとは異なるのです。そんな地理的なことから、歴史・文化を簡単にご紹介します。



Lucky Cavey


 



イギリスとは何でしょう?



 イギリスの正式国名は『United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国)』といいます。かつてイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドの4つに分かれていた国をひとつに統合したので、連合王国というのです。


 


 その象徴的なものが、ユニオンジャックと呼ばれる国旗で、これは、イングランドの国旗だったセントジョージクロスとスコットランドの国旗だったセントアンドリュースクロスとアイルランドの国旗だったセントパトリッククロスの3つの国旗を組み合わせて作られているのです。


 


ウェールズの国旗が無いのは、連合国を作る協定をした都市である1603年には、ウェールズは既にイングランドに併合されていたからです。


 


 この連合国旗ユニオンジャックを良く見ると、明らかにイングランド国旗のセントジョージクロスが他の二つの国旗の上に重ねられていることがわかります。つまり、連合国とはいえイングランドがスコットランドとアイルランドを従えていることがよくわかるのです。


 



イギリス人とは誰でしょう?



 先程も述べましたように、あくまで連合国家であって統一国家ではないので、イギリス人という単語がないのです。何人ですかと尋ねても、イングランド人、ウェールズ人、スコットランド人、アイルランド人と分けて答えます。


 



イギリスができるまで -紀元前―



 グレートブリテン島には紀元前9世紀ころから紀元前5世紀ころにかけてケルト系民族が侵入し、鉄器を持って先住民族を支配し、ブリテン島各地にケルト系の部族国家が成立しました。


 



イギリスができるまで -1から5世紀ごろー



 紀元前55年ローマのユリウス・カエサルがグレートブリテン島に侵入し、西暦43年ローマ皇帝クラウディウスがブリテン島の大部分を征服しました。ローマ帝国時代のブリタニアはケルト系住民の上にローマ人が支配層として君臨した時代でもあります。


 


 ただしローマの支配はブリテン島北部のスコットランドとアイルランド島には浸透せず、ケルト系住民の部族社会が続きました。5世紀になって西ローマ帝国がゲルマン系諸集団の侵入で混乱すると、ローマ人はブリタニアを放棄します。ローマの軍団が去ったブリタニアはゲルマン人の侵入にさらされることになりました。


 




イギリスができるまで -中世以降―



 ゲルマン人のアングロ・サクソン諸部族がブリタニアに侵入し、グレート・ブリテン島南部を征服しました。この結果、この地域には後世アングロサクソン七王国と呼ばれるようになる小国家群が成立します。このブリテン島南部の小国家割拠状態の中から次第にイングランド地方が形成されていきます。


 


 イングランドの名称はアングロ・サクソン諸部族の中のアングル人に由来します。一方、ウェールズやスコットランドとアイルランドもゲルマンに征服されることなく、ケルト系部族国家が継続しました。それぞれの地域はこの頃から次第に独自の歴史性をもって分離していくことになります。


 



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歴史的に別々の国だったイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの各地に住む人々は、土地に対する誇りと愛着とが強く、例えばラグビーやサッカーの国際試合では、それぞれの地域別に代表チームをつくって送り出しているほどです。


 


別々の四つの国なんだと理解することが、イギリスを理解する鍵になります。


 


イギリス旅行をする際にはぜひ知識に入れときましょう。

2014年10月15日

written

by tabisapo


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