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2014月11月2日更新

ルネサンスの空気を味わう!サンピエトロ大聖堂の歴史とその魅力

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サンピエトロ大聖堂は、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山です。伝承によれば、サンピエトロ大聖堂はもともと使徒ペトロの墓所を祀る聖堂とされています。


このキリスト教の教会建築として世界最大級の大きさを誇り、床面積は2万3,000mもあります。このサンピエトロ大聖堂の歴史と魅力について見ていきましょう。


 


giampaolo macorig


 



サンピエトロ大聖堂の概要



サンピエトロ大聖堂は世界最大級の教会堂建築で、創建は4世紀です。コンスタンティヌス1世により、聖ペテロのものとされる墓を参拝するための殉教者記念教会堂として建設されたものが始まりです。


現在の聖堂は2代目にあたり、1626年に完成したものである。高さ約120m、最大幅約156m、長さ211.5m、総面積は49,737m²で、教会堂の前部には長径200m、短径165mのサンピエトロ広場があります。北側にはバチカン宮殿、南に教皇謁見所と宝物館が隣接し、これらを合わせて世界遺産に登録されています。


 


建築当初も再建された時も当代随一の建築家や芸術家たちがその造営に携わり、その巨大さ、荘厳さ、内部装飾の豪華さを含め、聖堂の中の聖堂と呼ぶにふさわしい威容を誇っています。


 



ペテロのお墓があるから、サンピエトロ大聖堂?



歴史学的には、ペテロがローマで殉教したとする確実な資料が存在していないので、建設地がほんとうにペテロの墓地だったかどうかについては古くから反論があります


 


1939年からの発掘では、大聖堂地下において墓碑とトロフェーオと呼ばれる祭壇の柱が発見され、さらにネクロポリスとよばれる墓地の存在も判明しましたが、これがペテロのものであるという確証は得られませんでした。


 


トロフィーオからは古くはローマの初代皇帝アウグストゥス時代のコインも発見され、当時から崇拝の対象になっていた土地であることがわかります。


 



建築当初と改築



初代サンピエトロ大聖堂は、ローマ帝国の皇帝として初めてキリスト教を公認し、自らも帰依したコンスタンティヌス1世の指示で建設されました。


 


そして、バシリカ式教会堂に教皇ニコラウス5世が建て替えようと考えました。発案した1377年当時は、その一帯は衰退しており、サンピエトロ大聖堂も老朽化が激しく、側壁が外れ、屋根は今にも落ちそうな状態になっていました。


 


そして教皇とレオン・バッティスタ・アルベルティがサンピエトロも含むローマ復興の計画を立案し、城壁や街の整備や大聖堂の再建に取り掛かりましたが、ニコラウス5世の在位は8年で終わり、工事は中断され、再着手はなかなか行われませんでした。


 


現在見られる大聖堂の建設は、1499年に教皇アレクサンデル6世が再びサンピエトロ大聖堂の改築を思い立ち、1505年の秋頃に教皇ユリウス2世によって改築の決定が行われたことによって始まります。建築設計競技によってドナト・ブラマンテが主任建築家に任命され、1506年4月1日に起工式が行われました。


 




内部装飾



青銅製の大天蓋は、ウルバヌス8世の命を受けたジャン・ロレンツォ・ベルニーニが設計・制作しました。


 


ねじれ柱は、旧サンピエトロ大聖堂に使われていた初期キリスト教時代の円柱を再現したもので、巨大な大聖堂の中心部に視線を集中させる効果を持ちます。


 


またベルニーニは、聖堂中心の4つの柱に、4つの聖遺物を安置する祭壇を設け、その下に縁の人物像を配しました。


それだけでなく、大聖堂の美術品はトラヴェルティーノ像165体、ストゥッコ像125体、大理石彫像が110体、ブロンズ像40体があり、そのひとつひとつが大作揃いです。



Giuseppe moscato


 


サンピエトロ大聖堂を含むイタリアを訪れた観光客がかかる「スタンダール症候群」という病気があります。


これは、膨大な芸術作品群をできる限り多く見て回ろうとする強迫観念が、観光を楽しむ余裕を奪い、頭痛などの症状を発するものと定義されています。


病気になるほど素晴らしい芸術品や建築の宝庫・サンピエトロ大聖堂をご自身の目で確かめて下さい。

2014年11月2日

written

by tabisapo


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