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2014月10月31日更新

ベトナムがフランスから独立を勝ち取るまでの歴史

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ベトナムには豊かな歴史があり、それはキリスト生誕前までさかのぼります。


ベトナムの国は南北に長く、歴史も北部・中部・南部で大きく異なっています。


しかし、今回はフランスが関わってくる1850年代~ベトナム独立までの歴史を紐解いていきましょう。



◆コーチシナ戦争



1850年代、その時期ベトナムを支配していたのが、阮朝(グエンチョウ)という王朝でした。



⇒【観光ポイント】都城は中部のフエにあり、フエは世界遺産にも登録されています。



1858年、ベトナムの植民地化を図るフランス帝国と阮朝の間でコーチシナ戦争(1858年-1862年)が勃発。


1年後には、フランス軍がサイゴンを急襲して武力占領し、1861年にはベトナム南部(メコンデルタ)の三省を占領しました。



⇒【観光ポイント】現在のメコンデルタは毎日たくさんの人が訪れる観光スポットです。



メコンクルーズや各点在する島々ではいろんな楽しみ方があります。



                                                 


photo by sy_colon


翌年6月の講和条約である第1次サイゴン条約で元々の所有者だったフエの阮朝宮廷に対し、これらコーチシナ東部三省とプロコンドール島を割譲させました。


その年、奪い取ったプロコンドール島にコンダオ刑務所を開設し、政治犯の流刑地に利用しています。



⇒【観光ポイント】コンダオは、現在では知る人ぞ知るリゾート地です。



負の遺産である刑務所跡もそのまま残っており、見事に小さな町と同化しています。



海もとても奇麗で、海ガメ・ジュゴンの生息地でもあります。



◆仏領インドシナ(インドシナ連邦)成立



以降、サイゴンに設置されたコーチシナ総督府が、フランスのベトナム侵略の拠点となります。


皇帝ナポレオン3世が即位すると、彼はベトナムを保護国にすることを強く推進し、1862年に南部のほとんどがそうなりました。


それ以降、今日でも多く目にするフランス様式の建物はこの時代から建てられたものです。



⇒【観光ポイント】サイゴン大教会はベトナムのホーチミン市1区にあるカトリックの大司教座大聖堂です。



聖マリア大聖堂とも呼ばれて親しまれています。



すぐ横には、サイゴン中央郵便局があります。



パリのオルセー美術館(当時駅舎)をモデルにしたといわれています。



コロニアルスタイルの観光名所としても著名です。



その他付近には、人民委員会庁舎や市民劇場も見られ、プチ・パリと呼ばれる所以ですね。



                  


photo by sy_colon


フランスは1863年にカンボジアを保護国とする条約を結んでおり、仏領コーチシナをカンボジアと連結させるために、1867年、コーチシナ西部三省を武力占領してコーチシナ全域を支配下に置きました。


ベトナム宮廷は1874年の第2次サイゴン条約でコーチシナ六省に対するフランスの完全な主権を承認し、直轄領としてのコーチシナ植民地が正式に成立。


しかし、ベトナムへの宗主権を主張してこれを認めない清朝でしたが、清仏戦争で撃破し、1885年の天津条約で清の宗主権を否定させてしまいました。


1887年、新設のインドシナ総督の下で、カンボジアと共に直轄領コーチシナに加え、新たな保護国や保護領で拡大した仏領インドシナ(インドシナ連邦)が成立しました。



◆インドシナ共産党結成



1900年代になると、地元住民はフランスからの解放を望み、知識人の主導で民族運動が高まり、日本に留学生を送り出す東遊運動(ドンズー運動)も展開されます。


1917年にロシア革命によってソビエト連邦が成立、コミンテルンが結成され植民地解放支援が高まりました。


コミンテルンとは、1919年から1943年まで存在した共産主義政党による国際組織です。


こうした中で、ベトナムでも、コミンテルンとの連携のもとでの民族運動が強まり、1930年にはインドシナ共産党が結成されます。


第二次世界大戦中のベトミン(ベトナム独立同盟)でも、ホー・チ・ミンのもとで共産党が主導的な役割を果たしています。



◆第二次世界大戦



1939年に第二次世界大戦が勃発、1940年6月22日にフランスが降伏すると、同年9月には降伏を受け入れたフランス側の承認の下に、日本軍がフランス領インドシナに進駐しました(仏印進駐)。


仏印進駐後のベトナムはフランスと日本による二重支配体制です。


1945年ベトナム飢饉での際、日本軍とフランス政庁が有効な対策を取ろうとしなかったこと等が原因で40万から200万人に及ぶ人々が餓死しました。(飢饉の原因と死者数については様々な意見があります)


それを機に、ベトナム人民からフランスの植民地支配の解放軍を自称していた日本に対する期待は完全に失われ、ベトミンの勢力が伸長するきっかけとなります。



◆ベトナム独立宣言



第二次世界大戦の日本の降伏により、インドシナ共産党の全国大会が開かれ、全国蜂起委員会が設立されました。


その後、ベトナム民族解放委員会を設立し、ホーチ・ミンが主席に選出されています。


その3日後、1945年8月17日にベトナム8月革命が勃発し、残存していたベトナム帝国(阮朝)を倒し、皇帝バオ・ダイは8月30日に退位の宣言をしました。


そして、9月2日には、ホー・チ・ミンは臨時政府を代表してベトナム独立宣言を厳かに読み上げ、国民と世界に向けてベトナム民主共和国の誕生を宣言しました。


しかし、この革命の結果、ベトナム民主共和国が成立しましたが、日本軍(枢軸国)に勝利したフランス軍(連合国)によるインドシナ再植民地化によって血みどろの抗争となり、第一次インドシナ戦争にもつれ込んでいきます。



◆南北分断時代



日本の降伏によって第二次世界大戦は終わり、直ちにホーチミンを首班とする政府を樹立して独立を宣言しましたが、ベトナムは冷戦による分断世界の渦に巻き込まれていきます。


日本に勝利した連合国側は再びフランスが進駐し政権を樹立、再度ベトナムを植民地化しす。


これに対してベトナム民主共和国が反発し、第一次インドシナ戦争が始まったのです。


そして、各地でゲリラ戦が結果として起こり、それは8年間も続きました。


フランスは次第に追いつめられ最終的に北部のディエンビエンフーの戦いに破れて終結し、1954年7月21日、ジュネーヴ協定の調印で中北部のフランス統治が終結しました。


これにより17世紀と同じくベトナムは2つに分断され、北がベトナムそして南がフランスとなりました。



◆アメリカ参戦



しかし、フランスの後を継いだアメリカがジュネーブ協定には参加せず、政権維持を図ったことでアメリカの参戦が始まることとなります。


北と南の戦争は続き、1960年代初期にアメリカが南の味方に付きました。


1965年2月7日、アメリカ軍による北爆によって、ついにベトナム戦争が始まります。



⇒【観光ポイント】ホーチミンから北西約70kmに位置するクチは、ベトナム戦争最大の激戦地です。



ベトナム戦争を語る上で欠かせない場所です。



約20年もの歳月をかけて掘られた全長約250kmにも及ぶクチトンネル。



その一部は開放されていて、見学ができます。



トンネル内部をはじめ、落とし穴や実際に使われていた武器なども見学できます。



戦争の凄まじさを肌で感じることができるスポットです。



ベトナム戦争はアメリカ側が1973年に撤退し、それからベトナム側はベトナム人民軍がサイゴンに流れ込んだ事で1975年に終わりました。


北ベトナム軍が、今日、統一会堂として知られる大統領官邸の芝生に戦車で乗り入れ、以来それは、その日を常に思い出させる象徴的事件となりました。



⇒【観光ポイント】ホーチミン市内中心部に統一会堂はあります。



旧南ベトナム大統領官邸、今ではベトナム戦争終結のシンボルですね。



ホーチミンに来る人の中で歴史に興味のある方はここを見なければ始まりません。



 


photo by Eustaquio Santimano


 ベトナム戦争の終わりは、1975年4月30日のサイゴン陥落によって、親米政権が倒された時となります。



◆ベトナム社会主義共和国



ベトナムの現代は、1976年7月2日に、ベトナム社会主義共和国が成立して、統一ベトナムが実現した事に始まります。


冷戦時代ベトナムは破綻したまま孤立していましたが、最終的にサイゴンは改名されホーチミンとなりました。


ソ連崩壊後ベトナムは経済改革を推し進め1990年代ホーチミン市とベトナム全体は本格的に発展し始めます。


ホーチミン市はベトナム社会主義共和国の元、現在は統一され、そして前例を見ない繁栄を享受しています。


今日アセアンメンバーのベトナム経済は上昇を続け、そして観光もブームとなっています。




◆各国との和解



日本との和解は、ベトナム共和国(南ベトナム)が1959年、ベトナム民主共和国(北ベトナム)が1973年でした。


1993年にはフランスとの和解を果たし、1995年には東南アジア諸国連合に加入、その直後にアメリカ合衆国との和解を果たしています。


激しく戦った相手とも、きちんと和解しているのですね。

2014年10月31日

written

by tabisapo


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