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2014月11月9日更新

偉人で見るイタリア各州の風土と歴史

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はじめに



イタリア半島では、紀元前から都市国家が多く成立していました。都市国家の誕生や滅亡、またローマ帝国の干渉と相まって、各地方には個性溢れる文化が生まれました。温暖な土地には貴族の保養地が築かれ、各都市国家の君主は文化人を招聘するなどして、競って美術品を仕上げて国威を高めようとしました。数千人程度の人口しかない村でも偉人の出身地であったり歴史的事件の舞台だったりします。また、大都市では忘れられている(盗難などトラブルに遭うのはローマなど都市圏の方が多いようです)親切心も地方の街や村にはまだ息づいているようです。


 



イタリア中部、ヴィンチ。レオナルド・ダ・ヴィンチの生まれ故郷



場所はイタリア半島中部、フィレンチェから車で1時間の距離に位置します。レオナルド・ダ・ヴィンチの生まれ故郷として知られ、村にはレオナルドゆかりの建物が各所に保存されています。例えば、かつての領主が住んでいた「グイディ城」はヴィンチ博物館として整備され、レオナルドの発明品が複製されて、展示されています。また、レオナルドの生家も15世紀当時のまま保存され、中世時代の農家の様子が伺えます。


 



イタリア北部、フェッラーラ。ルクレツィア最期の地



かつての領主、エステ家の城や大聖堂が見所です。コルプス・ドミニという修道院にはエステ家代々の墓が安置されています。エステ家に嫁いだルクレツィア・ボルジア(1480年―1519年)もそこに眠っています。ボルジア家はマキャベリ「君主論」において「冷徹な君主」の代表として紹介されており、ボルジア家出身のローマ教皇アレクサンデル6世(1431年―1503年)は本来持つべきではない子供まで用いて一族の繁栄と教皇領の軍事的自立に力を注ぎました。その子供がルクレツィアです。ルクレツィアは父と兄チェーザレによって何度も政略結婚させられました。「ボルジア家は毒殺で政敵を何人も殺害した」という噂もあり、それがボルジア家の悪名を一層高めています。ルクレツィアも「毒が入る指輪を使って夫を殺害した」という噂がありますが、確かなことは不明です。ルクレツィアがどれだけ一族の野望に関わっていたのかは不明ですが、父と兄によって人生を翻弄されたのは確かです。


エステ家に嫁いで間もなく、父親は病死。兄も病にかかって回復はしたものの、政治的影響力を失い、失意の中亡くなります。父と兄を一気に失ったルクレツィア自身もエステ家の中での立場を失い、10年程ひっそりと生活し、女児を死産した直後に自身も39歳の若さで波乱の生涯に幕を閉じました。その特異な生涯から、後世では様々な作品のモチーフとして、今でもその名を轟かせています。



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おわりに



他にも、アルフレッド・ノーベルが晩年を過ごした邸宅が保存されているサンレモや、ガリレオが教鞭を取ったボローニャ大学があるパドヴァなど、偉人が関わった都市や村が多く存在しています。現地を訪れる際は、かつて偉人達が過ごした気配を感じ取るのも良いかもしれません。


参考図書:イタリアの田舎町 時田慎也他 日経BP


 

2014年11月9日

written

by tabisapo


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