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2014月11月16日更新

相思相愛!?フィリピンと日本、歴史の裏側。

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 「私はまた戻ってくる。(I shall return.)」と言ったのは、映画ターミネーターのアーノルド・シュワルツェネッガーではなく、敗戦国日本に駐留した連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーだ。


 



フィリピンの由来



 フィリピンが西側の歴史に登場してからというもの、不幸なことに、フィリピンは常に外国からの侵略を受けてきた。


15世紀にマゼランがフィリピンを発見すると、スペインは当時のスペイン王子の名「フェリペ」を採って、その国を「フィリピン(ラス・フィリピナス諸島)」と名付けた。


 


その後、スペインは約300年間もフィリピンを支配したのち、アメリカとの戦いに敗れて、今度は何とフィリピンを賠償金2000万ドルでアメリカに売却してしまった。こうして、アメリカによるフィリピン支配が始まる。


 






 



フィリピンと戦争と日本



 アメリカによる実質的な支配が続く中、1941年に日本軍がフィリピンに上陸した。当時アメリカ軍司令官としてフィリピンに駐在していたマッカーサーは、日本軍の進撃を獲て、マニラを放棄し、バタアンからコレヒドール島に撤退した後、いよいよフィリピンから脱出を余儀なくされた。


 


コレヒドール島を脱出する際にマッカーサーが遺した言葉が「私はまた戻ってくる。(I shall return.)」だった。マッカーサーはフィリピンを去り、後にアメリカ軍が再度フィリピンを取り戻すときまで、日本軍によるフィリピン支配が行われることとなった。


 


1944年10月、フィリピンのレイテ島にマッカーサーが戻ってきた。マッカーサー率いるアメリカ軍と日本軍は、マニラで4週間にわたる市街戦を繰り広げ、この間に、マニラはことごとく破壊されてしまった。


 


戦後1956年にフィリピンと日本は国交を回復したが、マニラとフィリピン全土を踏みにじった日本や日本軍に対して、フィリピン人がよい感情を持っているはずはない。しかし、多くの日本人遺族にとっても、フィリピンは、大事な家族を亡くした土地であり、戦後多くの遺族が戦没者の慰霊のためにフィリピンを訪れた。


 


そのたびに、フィリピン人はそんな悲しみに暮れる日本人を温かく迎えてくれた。フィリピンを訪れた日本人遺族も、戦争でその土地を踏みにじったことを謝った。謝る日本人に、フィリピン人は、「もういいよ。」と言ってくれた。


 


そんな歴史の裏側が、日本とフィリピンにはあるのかもしれない。


 






 




相思相愛!? フィリピンと日本



 深い歴史の傷を負いながらも、フィリピンと日本は、やはり相思相愛なのではないか? 同じアジア人であり、地理的にも近いフィリピン人と日本人の行き来はとても盛んだ。多くの日本企業もフィリピンに根を下ろしている。


 


日本人は、心優しく、明るく、とても人懐っこいフィリピン人が大好きだ。東日本大震災後にフィリピンのアキノ大統領が日本を公式訪問した際には、特別な友情の絆で結ばれた隣国間の「戦略的パートナーシップ」・・・という共同声明が発表されている。


 


台風ヨランダでフィリピンが大きな被害を受けた時には、日本が真っ先に駆けつけて、災害救助活動を行った。フィリピンは日本の大事な隣人であり、特別な友情の絆で結ばれた国同士なのだ。


 






 


 


一橋大学社会学研究科中村聡研究室ホームページ


http://www.ne.jp/asahi/stnakano/welcome/wakai1.html


首相官邸ホームページ


http://www.kantei.go.jp/jp/noda/statement/2011/0927philippines.html


 

2014年11月16日

written

by tabisapo


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