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2015月10月7日更新

「実は悲しい歴史があった・・・サイパンの戦いって何?」

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サイパンと聞くと美しい海や砂浜が有名で多くの観光客から人気があります。


そんな素敵な場所サイパンに、悲しい歴史があったことをご存知ですか??


その歴史を知らなければ、誰もが「きれい!!」と声をあげることでしょう。


しかし、かつての惨劇を思うと、そんな言葉を口にはできない・・そんな重みが、あの場所にはあります。


歴史を知った上で訪れる土地は一味違った旅を経験出来ることでしょう。






「サイパン バンザイクリフ」



wikipedia


バンザイクリフは、北マリアナ諸島サイパン島最北端の岬であり、正式名称は、プンタンサバネタ(プンタン平原)といいます。


太平洋戦争(大東亜戦争)中、日本軍事令部がサイパン島北部にあり、アメリカ軍の激しい戦闘(サイパンの戦い 1944年6月15日~同年7月9日)において、追い詰められた日本兵や民間人が、80m下の海に身を投じて自決した悲劇の断崖です。


足がすくんでしまいそうなくらい高い80mの断崖絶壁。どのような気持ちで身を投じたのか考えるだけで悲しみがこみ上げる世界。


多くの自決者が「天皇陛下、万歳」と叫び両腕を上げながら身を投じたことから「バンザイクリフ」と呼ばれるようになったそうです。


自決者の数は1万人にのぼると言われていて、当時の日本では、敵の捕虜になることは、恥ずべき事と教育されていたそうです。


海は血で真っ赤に染まり、死体の海と姿を変えました。








「サイパンの悲劇を沖縄県民は知っていた?」


サイパンには沖縄からの移民が多かったそうです。


サイパンでは、民間人の男は見つけ次第射殺され、女は生け捕りにされ、老婆以外は米兵の慰み物となり凌辱を受け「死ぬ以上の苦しみ」を味わったのち生きたまま焼き殺されたり殴り殺されたりしたそうです。


その情報は沖縄にも伝えられており、沖縄県民は生きて死以上の苦しみ、辱めを受けるのではなく、自決の道を選びました。


サイパンや沖縄県民の飛び降りる映像がよく使われていますが、それをとったのは米軍だそうです。


生きて捕まったらどうなるかは、当時の日本人は皆知っていたのでしょう・・


バンザイクリフ」には慰霊碑もあり、また慰霊碑を守るガードマンもいるそうです。


なぜ、ガードマンがいるかというと、「慰霊碑を壊されないように監視している」そうです。


この慰霊碑を壊そうとする者がまだいると言うことでしょうか?


戦争に関する何らかの事柄にまつわる負の感情によって引き起こされる行動ならば、戦争というものが、どれほど重く、悲しく、罪深いものであったかということを考えずにはいられません。


学生のとき、何気なく勉強していたことが、大人になったいま走馬灯のように蘇ってきます。


この生活がどれほどありがたいものなのか。この生活になるまでに何人者日本人が命を絶ったのか・・


今の生活が当たり前と思わず、常に感謝の気持ちを持ち日々を過ごすことが今私たちにできる一つの償いなのかもしれません。


サイパンにはこのような歴史があり、多くの戦争の傷跡が残っています。


慰霊碑が置いてある場所に出向かれた際は、手を合わせましょう。







2015年10月7日

written

by tabisapo


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