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2015月1月30日更新

空中都市マチュピチュの謎にせまる

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1911年にインカの秘密都市を探していたアメリカの探検家ハイラム・ビンガムがマチュピチュに到達し、ナショナル・ジオグラフィック紙にその存在を公表してから100年以上が過ぎましたが、未だに解明されない謎も多く残されている空中都市マチュピチュ。その謎について取り上げてみました。



photo by David Stanley


 



発見者はハイラム・ビンガム?



マチュピチュの存在を世に知らしめたのは確かにビンガムの功績ですが、実はその以前から地元の農民が住み着いていたと言われています。ビンガム自身も地元の子供にマチュピチュまで案内してもらっていますから、存在そのものは知られていたものの、重要さに気づかく者がいなかったということになります。ビンガムはその価値を認めた最初の人物でした。


 


ビンガムが訪れた当時のマチュピチュは、400年近くもの間放棄されていたために草や木が生い茂り、現在見られる姿とは全く異なっていました。またその付近はクスコの農場主の私有地でしたが、ビンガムの話を聞いた農場主は遺跡を覆っていた草木を焼き払って発掘作業を手伝ってくれたと言われています。



photo by Recuerdos de Pandora


 



マチュピチュってどういう意味?



古代都市を見つけたビンガムが地元の人に名前を尋ねた時、その山の名前を尋ねられたのだと思って「マチュピチュ(Machu Picchu)」と教えられたためにこの都市はケチュア語で「老いた峰」という意味のマチュピチュと呼ばれるようになりました。 最近の調査では、元々は「階段の町」という意味のパタヤクタ(Patallaqta)という名前だったのではないかと言われています。



photo by Benjamin


 



建設したのは、誰?



文字を使わなかったインカでは、わからないことがたくさんあるのですが、これもその一つ。現在の通説ではインカの初代皇帝パチャクテクが15世紀前半にこの付近を征服した後、建設を命じたとされています。


 



マチュピチュは何のために建設された?



これも推測するしかないのですが、皇帝を始めとする貴族の住居、労働者の住居、神殿などの宗教施設、陵墓、田畑が見つかっているものの、どんなに詰め込んでも1000人が限度という規模から、当初は要塞として使われていたのではないかと考えられていました。


 


しかしその後の調査で、埋葬されていた人々の健康状態が比較的良く、戦闘で亡くなった痕跡がないことから別荘説が浮上。クスコに居を構える皇帝の避寒地として使われていたのではないかというものです。


その他にも、農地拡大のために建設された町で、農作物の管理を目的としていたという説、皇帝の陵墓として建設された町だという説、皇帝が地方を統治するための出張所説、純粋な宗教施設であった説など、様々ありますが、そのいずれにも確かな根拠があるわけではありません。


 


どちらにせよ、その建築の精巧さから、重要な町であったことは間違いないと考えられています。



photo by Eugene Kaspersky 


 



急峻な山の上に造られたのはなぜ?



これも実のところは不明です。ですが、太陽神を信仰するインカにとって、神に近い高地にあり、かつ周囲が開けて太陽観測に適した場所であったマチュピチュは宗教的に絶好の場所だったと見られます。太陽の神殿には夏至の日と冬至の日にそれぞれ太陽の光が差し込むように造られた窓があり、マチュピチュが天体観測や宗教儀式に使われていたことを裏付けています。


 


それ以外にも、太陽の光や霧、雲、周囲の山々により生み出される圧倒的な美しさ故に、この場所に建設されたのだと主張する人もいます。実際、この雄大な風景を前にする時、誰もがそう思わずにはいられないのではないでしょうか。



photo by Rodrigo Alvarez


 



石の運搬や建設方法は?



現在の土木技術を持ってしても尚建設不可能とも言われるマチュピチュですが、周囲の山のもう少し標高の高い場所に花崗岩を切り出した跡が発見されており、その付近から人力あるいはリャマなどの動物を使って運んできたのではないかと見られています。


 


外から見える部分だけではなく土台にも念入りに石が積まれており、その堅固な建築のお陰で降雨量の多い急斜面にありながら今もなおほぼ当時のままの建築群が残されています。金属器がなかったインカで造られた、カミソリの刃すら入る余地がないと言われる石積みは、石器を使って辛抱強く石を叩いたり削ったりする作業によって完成したものだと思われますが、実に気の遠くなるような話です。



photo by Eugene Kaspersky


 




放棄されたのは、なぜ?



インカ帝国の最後の皇帝アタワルパがスペイン軍に敗れたのが1533年。マチュピチュもこの時期に放棄されたのではないかと見られていますが、はっきりしたことはわかっていません。


 


スペイン人との戦いに徴兵されて誰も残らなかったのではないか、残虐なスペイン人を恐れて逃げ出したのではないか、あるいは疫病により町ごと滅んだ、農作物の不作により町を放棄せざるを得なかった、などなど様々な説はあるのですが、いずれも推測の余地を出ていません。


 


一旦放棄されたマチュピチュは、その後400年近く日の目を見ることなく放置されるのですが、それはまたマチュピチュがいかに孤立した、不便な場所にあるかを物語るものでもあります。



Photo by Guillen Pérez


 


今でも謎だらけのマチュピチュですが、数ヶ月前には新たな通路が発見されて話題を呼びました。1.5kmに及ぶこの通路の一部はやはり精巧な石積みによってできたトンネルになっています。元々はインカ道だった部分が土砂崩れにより通行不能となったために建設されたトンネルだと見られていますが、建設から500年を経過してもなお使用に耐えうる状態で見つかったのだそうで、インカ人の技術にはただもう脱帽するばかりです。


 


現代人を魅了して止まない謎の都市マチュピチュですが、今もなお石積みの下に深く隠された謎がまだまだ残されているのかもしれません。

2015年1月30日

written

by tabisapo


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