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2015月5月9日更新

【中尊寺経由】岩手・平泉を満喫できるおすすめ観光コース

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岩手への旅行で平泉あたりに行こうと思うのですが、そこを満喫できる観光コースを紹介してください。(大学3年生・男性)


はじめに



かつて「みちのく」とも呼ばれていた奥州を治めていたのが藤原清衡でした。

当時の奥州では金の産地であった為、この周辺の豪族はかなりの権力を持っていたともされています。

清衡は朝廷と良好な関係を築いていた為、独特の文化や政治が形成されて行きました。

また「奥州藤原氏」とも呼ばれ、平泉を本拠地とし、中尊寺を構成する大伽藍(がらん)群を建立して行きました。

(伽藍とは寺院を構成する山門や本堂の事)



「画像出典:Wikipedia 中尊寺

その後、金色堂が建立されると平泉は徐々に発展して行き、3代秀衡の頃に平泉は「仏教都市」として最盛期を迎えました。

しかし、源頼朝と対立し、逃亡していた源義経を匿った奥州藤原氏は源頼朝との奥州合戦に敗れ滅びてしまいました。

その後、主のいなくなった平泉は徐々に衰退して行き、さらに度重なる建物の焼失等があり、1600年頃には現在の状態になったとされています。

今回はそんな平泉の観光コースを平泉の歴史と少し交えながらご紹介します。

 

平泉文化遺産センター



こちらの施設では平泉の歴史を紹介する資料や発掘調査の展示がされています。

「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として、世界文化遺産登録された平泉の事前学習にもってこいの施設です。



「画像出典:平泉町ホームページ

中尊寺や毛越寺に行く前に立ち寄ればもっと深く感動を味わう事が出来るハズです。

また、入場も無料なのでぜひ立ち寄りたいスポットでもあります。

 

アクセス



JR東北本線 平泉駅より徒歩約15分

 

中尊寺



中尊寺の見どころはやはり金色堂です。

金箔で覆われたお堂は当時栄えていた中尊寺を今に伝えています。

中尊寺は嘉祥3年(850年)、延暦寺の高僧慈覚大師円仁によって開かれました。

12世紀のはじめには奥州藤原清衡により、大規模な堂塔造営が行われました。

中尊寺が作られたのは、11世紀後半に東北地方で続いた戦乱によって亡くなられた人々を敵味方関係なく慰め、辺境の地と言われていた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和な社会)を築く為のものだったとされています。

当時は東北地方最大の寺でしたが、建武4年(1337年)に火災で金色堂を残してほぼ全焼してしまいました。

その後、何度か修復や再建が行われてきましたが、本格的に再建されたのは明治時代に入ってからでした。



「画像出典:Wikipedia 中尊寺

昭和に入り、延暦寺から天台宗東北大本山の称号を許され、「不滅の法灯」を分火護持されました。

そして、金色堂も昭和37年(1962年)に解体修理が始まり、6年後の昭和43年(1968年)に創建当初の輝きを取り戻しました。

2011年には「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の構成資産として世界文化遺産に登録されました。

 

アクセス



JR東北本線 平泉駅より徒歩約25分

 

毛越寺



毛越寺は白鹿伝説で知られています。

その昔、慈覚大師円仁がこの地を訪れた際、一面が白い霧に覆われ、一歩も動けなくなりました。

ふと足元を見ると白鹿の毛が点々と落ちていたので辿ってみると、白鹿がうずくまっていました。

しかし、大師が近づくと白鹿は霧の中へ消え、やがてどこからともなく一人の老人が現れ、「この地は霊地であるから堂宇を建立するなら仏法が広まるであろう」と大師に告げました。

大師はこの老人が薬師如来の化身であると感じ、嘉祥寺を建立したのが始まりであるとされています。



「画像出典:毛越寺公式サイト

当時は中尊寺を凌ぐ程の規模があったとされていますが、奥州藤原氏の滅亡後は度重なる災禍に遭い、全ての建物が焼失しましたが、現在まで大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。

こちらの毛越寺も「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の構成資産として世界文化遺産登録されています。

 

アクセス



JR東北本線 平泉駅より徒歩約7分

 

達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)



こちらは残念ながら世界文化遺産登録からは外れていますが、それでも平泉周辺の見どころとして知られているスポットです。



「画像出典:達谷窟毘沙門堂 別當達谷西光寺公式サイト

その昔、坂上田村麻呂が蝦夷を討伐した際、その記念に毘沙門堂を建立したのが始まりです。

過去には何度か火災に遭って消失していますが、昭和36年に再建されました。

 

アクセス



JR東北本線 平泉駅よりタクシーで約10分

 

猊鼻渓(げいびけい)





「画像出典:猊鼻渓舟下り公式サイト

毛越寺から車で約15分。

最上川支流の砂鉄川沿いに高さ50mを超える石灰岩の岸壁が約2kmに渡って続いています。

かつては辺境の地であった為、あまり知られていませんでしたが、地元の佐藤猊巌(げいがん)がこの地を開発し、猊鼻渓と名付けて世に広めました。

こちらの名物は船頭が竿一本で操る「ひらた舟」での舟下りです。

船頭の楽しいガイドを聞きながらの往復約90分の船旅はあっと言う間に過ぎて行きます。

 

アクセス



JR大船渡線 猊鼻渓駅より徒歩約5分

 

まとめ



歴史ある街、平泉を巡るルートの参考にはなりましたでしょうか?

現在、往時を知れる建物は遺跡になった場所も多く、規模はかなり狭くなりましたが、平泉の人々は懸命に当時の面影を守り続けてきました。

2011年には東日本大震災を乗り越え、平泉は無事に世界文化遺産に登録されました。

現在では東北地方の代表的な観光地として、当時の文化を今に伝えています。

一説では「黄金の国ジパング」とはマルコ・ポーロが金色堂の話や金の産地である、奥州の話を伝え聞いた為に語った言葉であるとも言われています。

そんな平泉にはまだまだ当時の面影を伝える史跡や建物が沢山あります。

皆さんも当時の風景に想いを馳せ、平泉に出掛けてみてはどうでしょうか?

2015年5月9日

written

by hide0926


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